認知症に効く、っていうけど その4


「認知症の〇〇に効く」って3つプラスアルファある。

っていう話がなかなか進まないもんですな。再度まとめ。

〇〇に入る言葉は次の通り
1. 認知機能の低下
2. まわりの人にとってやっかいな状態
3. 自分自身のあたまのすっきり感、飲み心地

交絡要因(介在することで結果に影響する要因)として

a. 体調
b.
c. 人間関係
d. 環境

まだあるかもしれないけどね。で、それを明瞭に示して話さないと、いまの時代、話がひっちゃかめっちゃになる。
なぜなら、「認知症の〇〇」の〇〇が必須なのは、〇〇を誰もが同じ風に思っていないのだから。でも、ネットやテレビをみれば、「認知症は治る」とか「認知症を予防する」とかバンバン。で、実際見てみると、「なあーんだ、おもってたのと違うじゃん」となる。でも中には「ほー、すごい、そーだ」と思える視聴者もいたりする。であれば、伝える側の〇〇と、聞く側の〇〇が偶然、同じだったのだ。あるいは違うのに、そのまま勘違いしたままか、である。めんどくさい話だね。でも、ここにいろいろな思い込みやれた意図が入りこみやすい。というか、意図的にこれを利用することもできる。だって、そういう話って反論できないんだもの。逆に言えば、信ぴょう性のある話って反論できる可能性がないといけない。反証可能性がない話にはその話の正しさを証明できない。科学のルールです。宗教的文章ってたぶん逆です。宗教的な匂いの文章はぼくは好きです。反証可能性なんか、なくてよい。(ぼくは神学を勉強していないので、このあたりの話はきちんと言葉に出来ないけれども。)心が救われる言葉に出会える。でね、レベル落ちるけど、卑近なところでは、反証可能性がない話って「ぼくはだれより偉い」というのもそう。この手の話だれも反論できないって。で反論できなければこの話って正しい、ってなる・・・はずがない。でもこういう話、結構人々はいろんな思惑で乗っかってくる。なにか売りつけられたり、あるいはその人がある部署で出世したりするのに使われがち。だったらどうせ利用するのなら市民のために良心的に利用してもらえるといいんだけどね。なかなかそうもいかない。自分の身は相変わらず自分で守らなくてはいけない時代でもあります。厳しいですね。


さくっと「認知症に効く、っていうけど」を終わらせたいのに、なかなか終わらないものです。意外に根が深いことに気づかされます。


カテゴリー: 認知症の考え方