認知症患者、っていうけど


まあ、ね。この話、最近、メディアの文章も、厚労省の文章も、認知症の場合、認知症患者って言ったり、書いたり、しなくなっている。ぼくは、認知症の人、っていっている。でも、それでも、批判はある。なぜ、そういわれるのか。でね、まあ、その批判も、ごもっともなんです。
なんのこっちゃ。
ということで、今回は、そんな感じの内容。

「認知症患者っていうけど」

の巻。


ぼくが、この、「患者」って、明瞭に気になりだしたのは、ある論文がきっかけ。でね、こんなふうに書いてあった。

The term “person” denotes a holistic humanness and the equal value of individuals, whereas “patient” has been described as a reductionist, stigmatic term that imputes imperfections or undesired differentness to a person and thereby reduces the humanity of the subject.[Lancet Neurol 2008; 7: 362–67]

で、ぼくの訳。

<人;person>とは、包括的な人間性(humanness)と、個人(individuals)として平等な価値を有するものであることを意味する。反対に<患者;patient>とは、<人>というには不完全であって、<人>とは違う部分を持つ。その違う部分とは、望ましくない違いであり、それゆえに<人>が有する人間性(humanity)が欠けている状態で、汚名を着させられた名称(stigmatic term)である

なかなか手厳しい。ね。
また、クリスティーンブライデン、というオーストラリアの、認知症の本人が、こうもいっている。

私たちは患者ではなく人です。私たちは病気によって定義される存在ではありません。仮に私にがんがあったとしても、みなさんは私を「がん化した人」とは呼ばないでしょう。なぜならば、私はがんを抱えている「人」だからです。それと同様に、私も認知症を抱えた人であり、認知症そのものではありません。私たちへの話しかけかたで、天と地ほどの大きな違いが生じます。言葉は大切です!
2012年来日講演録より

だって。


でね、英語の、person with dementia(まあ、dementiaって言葉自体もスティグマ、まあ偏見だね、があるという話もあるんだ。日本語の認知症、に対してではなくて、dementiaに対して。今度のアメリカの診断基準の一つ、DSM-V、っていうんだけど。これをつくっている最中に、このことに触れている(はず)。たとえば、この基準での認知症の呼び方は、Major Neurocognitive impairment、だって。)の、withっていい感じだなあ、とおもってさあ。で、日本語で考えてみると、認知症が、その人に、ちょこっとくっついている、感触。認知症を抱えている人、認知症とともにある人、認知症と暮らす人、・・・・、短くは、うまく訳せないんだよね。でね、認知症の人、って略して使ってるんだけどね。でも、back translation(英語から日本語にしたものを再び英語に)すると、demented personとかになるんだね。ガーン、元の木阿弥。「認知症者」的なニュアンスになる。先ほどのクリスティーンが「患者」に対して指摘した通りのことになってしまって、そもそも最初に意図したものとは真逆になってしまう。んーー。また、現に、そういう指摘もある。でも、短くしないと、使いづらいしね。ここはいま行き詰っている。


で、ここで確認できたのは、やっぱ、さすがに認知症患者はないね、ってこと。でも認知症の人だと、短くていいんだけど、勘違いされがち、というのが課題だね、ってことかな。


カテゴリー: 認知症の考え方