認知症診断、っていうけど その6


えーと、やっと準備出来たので、

MCIの説明

ができるような気がします。歴史的には、AACDの考え方から、そんなにアレンジが加えられていない。このあたりから、MCI誕生に向けて細かい具体的な議論が、各地で行われているよう。でも、面倒なので、すっとばします。でね、MCIの基本理念としては、同じ条件、たとえば、年齢とか願わくば教育歴、とかでの、まあ、統計的には、層、とか、水準っていうけど、そういう各層での、各認知機能の検査の得点から割り出す、ということ。ところでさ、五歳刻みで性別で考えると、各国の認知症の有病率って、そんなに変わらない、っていくつかの論文で言われ、多くの専門家はたぶんそう信じている。だから、なるほど、この診断の合理性を担保するような話にも聞こえる。でも、ぼくは、ん?って思う。ある国が調査している認知症の割合、まあ有病率ってやつ、を、いままで説明した統計的な手法で認知症と診断しているのであれば、そもそもそういう結果(年齢階級ごとの有病率は各国同じ)になるよなあ、とも思ったりする。つまりですよ、診断方法が有病率を決めてるんでは?って。まあ極論すれば。なんだかマッチポンプ的な印象もあるのは、ぼくだけ?でさあ、このMCI話、この疑念がますます増えるんです。すべてのMCIとか認知症とかを、前回まで示した統計的な手続きで決めてしまうと、有病率って、別に調べる必要はなくなるって思わない?理論上各ドメインの相関がわかれば、その標準化検査さえ出来てしまえば、その国の人口構造から有病率は計算できちゃうよね。この話、変?
まあ、考えても始まらないから、まっ、いいか。


でね、まずは、各認知機能の検査、ってなにか。最新の診断基準。たとえばDSM-5をみてみるよ。

いまは便利で、ネット(リンクを張りました)を見る。

『複合的注意(complex attention)・実行機能(executive function)・学習と記憶(learning and memory)・言語(language)・知覚‐運動(perceptual-motor)・社会認知(social cognition)』の6つの主要な神経認知領域(neurocognitive domain)について障害の水準・重症度が判定される。

あっ、ついでに、以前書いた、DEMENTIA(認知症のこと)の用語についても、書いてあったので、載せます

神経認知障害(NCDs:Neurocognitive Disorders)という疾病概念が『認知症(Dementia)』に代わって用いられるようになった理由は、認知症だと高齢者に特有の老人性疾患として誤解されやすかったり、認知症という名前に対して『老人ボケ・痴呆』と同一視するような偏見・差別の印象が形成されてきたからである。DSM-5でも便宜的な必要性に応じて認知症という名称自体は使っても良いのだが、若年者でも外傷後の脳損傷やHIVなどの感染症によって神経認知障害を発症するリスクはあるのである。DSM-5では『認知症・健忘性障害』という疾患概念が削除されて、『神経認知障害』としてまとめられているのである。

日本語単語と英語の単語がまざっているので、錯覚するかもしれないけど、日本語の「認知症」についてではなくて、注意深く読めば、dementia、に対する問題を指摘しています。もとい!

MCIは、DSM-5では、Minor Neurocognitive Disorders、に相当。つまりですね、このサイトの日本語では、小神経認知障害、というらしい。ちなみに、認知症は、Major Neurocognitive Disorders。詳しくはそのサイトをみてね。で、ざくっと、短く、引用すると、あっ、短くするために、少しだけ改変したよ。

DSM5の小神経認知障害の診断基準
A.上述6つの認知ドメインで以前の活動レベルから中等度の認知障害を来たしている下記に基づく証拠がある。

  • 1.個人、よく知られた情報者、もしくは臨床家の認知機能における明らかな低下があるという考え。
  • 2.認知パフォーマンスが、標準化された神経心理学的試験において障害されている。それなしでも、別の定量化された臨床評価において中等度に障害されている。

B.認知欠損が日常生活における自立性に対する能力を障害していない。
C.認知欠損はせん妄の経過でのみ現れるものではない。
D.認知欠損は他の精神障害(大うつ病性障害・統合失調症)ではより良く説明されない。

で、認知症の方は、

DSM5の大神経認知障害の診断基準
A.上述6つの認知ドメインで以前の活動レベルから明らかな認知障害を来たしている下記に基づく証拠がある。

  • 1.個人、よく知られた情報者、もしくは臨床家の認知機能における明らかな低下があるという考え。
  • 2.認知パフォーマンスが、標準化された神経心理学的試験において障害されている。それなしでも、別の定量化された臨床評価において相当に障害されている。

B.認知欠損が日常生活における自立性を障害している。
C.認知欠損はせん妄の経過でのみ現れるものではない。
D.認知欠損は他の精神障害(大うつ病性障害・統合失調症)ではより良く説明されない。

違いは、Aのところで、「中等度」か「明らかな」。Bのところで「自立性に対する能力」が障害されているか否か。のようだね。Bは観察に基づくものなので、判定する医師としては、もわもわする。はっきりできない点で。医師には、少なくとも、診断は、誰がやってもブレないようにはっきりさせたい、って本能みたいなものってある。
この「誰がやってもブレない」って大切。あっ、前にね、「正しい診断・治療は俺にしかできない」って医師がいた。本とかたくさん書いていたから、一時、有名だった。「アルツハイマ型認知症は専門医の治療は間違っている。なぜなら、治せるからだ。」っていってた。「趣味をしないから、そうなる」とも。そういう先生って、その他の医師、あるいは専門医が共有する概念とは違う概念を持っている、ということだね。でもさあ、うまくできていて、そういう先生、「だから専門医にはかかってはならない」とも言った。「なるほど、そうくるか」って感心すらしてしまった。でもね、ぼくのところに、その先生のところにいっていた人がある日きた。「毎日3時間、外に出て、その先生が言うように、夫に道路標識とか花の名前を言わせているのに。どうしても進むんです」って、ぼくの前で奥さん泣いていた。奥さん必死。少しでもよくしようとしてたんだ。ぼくも胸痛くなった。で、どうも、その先生のところで治らない人は、怖くなって、その先生のところに行けなくなるんだね。別の専門医のところに行くんだね。だから、その先生の説は、その先生が診ている人々において「真」なんだよ。不思議な医療、って感じ。まあね。自らの選択肢を間違えないための考え方を、ブログ「認知症に効く、っていうけど」とかその前後のやつ、に書いたよ。なので、もとい!

でね、その際の手がかりは、そうすると、A-2(標準化された神経心理学的試験での障害程度)のところでの、「中等度」か「明らかな」という部分。ここは、しっかりと手続きを踏めば、明らかにできる唯一の部分なんだね。世界の共通言語として保証できる部分でもあるね。医者をかえても、ちゃんと手続きを踏めば診断にブレが出ない部分。医療を受ける側の(診断における)安心も提供できる。この部分が、しつこく、前回まで説明したキモ。


長いおつきあいありがとうございました。やっと、結論。ふーーー。
いまは、この6つのドメインすべてにおいて、日常診療で使えるような標準化された検査は完備していない。でもいくつかは実施可能。なので、この世界的にも有名な診断基準DSM-5に従えば、B,C,Dがクリア出来得れば、あとは検査の得点で「中等度」の障害を認められれば、MCI、ここでの名称は小神経認知障害だけれど、それか否かは決まる。そして、認知症、ここでは大神経認知障害だけれど、も同じく、「明らかな」障害が認められれば、それか否かは決まる。でね、「中等度」って、たぶん、よく採用するのが、平均マイナス標準誤差だと思うよ。で、そのノリでいえば、「明らかな」とは平均マイナス2X標準誤差だね。で、ぼく、この基準を初めて見た時、ビクッ、ってした。MCIと認知症を連続的に、無理やり、整理してしまったんだね。ある意味ではきわめて画期的な考え方。いままでは両者には連続性の担保はなかった。まあ、アメリカーっ、って感じ。すごく合理的。


この話を、超ざっくりいえば、1回こっきりの検査で既製の集団と比較することで、健常ーMCIー認知症を決められる、ってこと。普段、ぼくの診療でも、判断が難しければ、この方法を大まかに踏襲している。いろんなバイオマーカ(遺伝子とか血液検査の結果とかもろもろ)とかではないよ。特別な場合を除いて、それは二次的なもの。この方法ってきわめて合理的で、実施可能性は高い。(まあ、でもこういった検査はやっぱ訓練を受けた専門家が必要、というデメリットはあるけどね。どうしても、診断のときだけは、まだ限られた専門のクリニックや病院に行かざるをえないのかもね。そのうち、どこでもできるようになるといいね。)でね、実際には、ときどき微妙な得点の人がいる。そうやってきめても、ホントにそうか?って疑問を持たざるをえない人だっている。でね、ぼくのブログのどっかでふれたけれど、認知症って、定義に従えばさあ、個人の経時的な変化が重要だ、って知っているでしょ。それを1回こっきりの検査で、集団との比較で決めるって雑、って思う時がある。雑って思うのは、認知機能の検査では問題ないのに、どうしても、認知症ではない、って言い切ることができない雰囲気の人がいる。だって、訴えでは、経時的な自分の認知機能の変化を感じて、なおかつ、いままでの生活に支障をきたしているっていう自覚がある場合には、定義を優先すれば、認知症なのかもしれない。でも、定義では、自覚か他覚って明瞭に触れていない。そこで、最近では、こういう人のことをSCIっていう。なにかっていうと、自覚的な認知機能障害。英語は、subjective cognitive impairment。そこで、その人々は、本当は認知症なのか、あるいは、認知症になるのか、どういう不都合を、身体的、心理的に、背負っているのか、など、もう少しわかる必要がある。臨床医としては、こういう人がいる限り、それなりの診断と、なにをどうすれば、その人が少しでも、よりよく生きていけるのか、の医療的なサポートの指針めいたものほしいよな、って思う。っていうのがぼくの意見。最後、爆弾を放り込んで、オシマイ。


カテゴリー: 認知症の考え方