認知症予防、っていうけど その1


認知症予防

がテーマです。実は、難易度の高い話。とあるところに、数年前、こんな記事をぼくは、書きました。一部だけ引用します。

以前、筆者の外来にある人が来た。「毎日主人のために、散歩しながら花の名前を言わせ、道路標識の名前を言わせ続けました。しかし、主人の病気は進行する一方です。」と泣き崩れた。ある医師に、そうすれば認知症はひどくならないと勧められたという。実際は違った。夫に認知症がこれ以上悪くなってもらいたくない、と妻は必死に願った。自分の存在をかけて本当に毎日何時間も繰り返したのだろう。安易な予防法がなせる罪な話である。切ない。


まえのブログで、「認知症に効く、っていうけど」シリーズで書いたとおり、認知症予防、ってなにか、ということも同じように考えなくてはいけないようである。なぜって?それは、あなたにも、提供する側にも言葉が足らないのである。だからあなたの思っている予防、と、予防できるんだといっている人々の考えている予防、それが、はたして同じものかどうか、わからないのだ。空気を読めって、言われるかもしれない。でも、上のエピソードの主人公は、空気を読んだ結果なのだ。


自分の思っている予防と、予防法を提供する側の予防とが同じであれば、それでいいのである。もし違っていれば、どうすればよいのか。誰もなにもしてくれない。そのことを知らずして予防法に飛びつくのか。件のエピソードの主人公にならないためには、丁寧に考えるしかないのである。それから、飛びつく人は飛びつけばいいのである。んーーー、まだ、なにも書いていないのと同じ状態。熱を入れすぎた。休憩!


カテゴリー: 認知症の考え方