テレビで○○が認知症に効く、っていうけど


そういえば、

「由らしむべし知らしむべからず」

って言葉がある。
論語らしい。
ネットで意味をみる。
「為政者が定めた法律によって人民を従わせることはできるが、その法律の道理を理解させるのは難しい」
らしい。
で、これって、盲目的に、従わせろ、って意味でもない、などいろんなことが、ネットにあった。
為政者の資質をうたったものである、など。
なるほど、そうともとれる。
でも、それは、字句の解釈だ。
そういう意味を含んだうえでの、
要は、読んで字のごとくである。

でね、この言葉、いまの医療の伝統の中にも、チラチラみえてくる世界観を彷彿させる。
しょうがない局面もあるのは、事実。
んーー、たとえば、手術中。
事前に説明した通りにやろうと思ったのに、術中、ぎょっ!、不測の時代が発生。
不測だから、事前に説明もしていない。
なので、医師は、よかれ、と思うことに尽力する。
本人に、相談する、なんてない。
だって、目の前で意識失ってるし。
その医師の思いに、本人の、その瞬間のすべてが託される。
薬を処方することも、そうだ。
薬を飲む側の多くは、薬の効能や副作用のこと、も含めて、あまり知らない。
ときどき、ぼくよりも、たくさん知っている人も当然いる。
なので、多くは、である。
まあ、医師に限らず、いまや、すべての専門職にも当てはまるね。
だから、「専門」なんだろうから。

健康情報や医療情報、テレビで医師がいったり、ブログで書いたり、すると、また、それが簡単で、その話、耳障りがよく、ひとに言ってみて心地がいいと、みんな結構、その話にのっかる。
大衆心理をつかんでる。
大したもんだなあ、と感心はする。
でも、その内容、気持ち悪い。
なにか、大切なものが、軽んじられている感触。
認知症は、それが顕著である。
こんな話を、みんなの前でする。すると、

その話、ウソなのホントなの。
どっちなんですか。

って、しばしば問われる。

ある番組。笑い話みたいなホントの話。
正確な書き起こしではないので、その点はご了解を。
また、編集もして、元の形ではないけど、そんなにはずしていない。

テレビに出ている医師が、

「簡単なことなんだけれど、こーすると」

「脳のふだん使っていない領域の脳が活性化して、それが認知症の予防になるんです!」

「また、朝スプーン2杯の〇〇オイル。」

「これがいいんですよ。認知症予防には。」

的なことを複数の医師が言っていた。
テレビのタレントさんも、「へーーっ」ってみんな言っていた。

ぼくは、テレビの前で、「まじかっ」って思った。
そういうテレビをみてる僕が悪いんだろうけどね。

で、

その話、ウソなのホントなの。
どっちなんですか。

って言われると、ぼく、わかんない。

たしかに、いままでやっていない動作をすると、新たな脳の領域の血流が増える、っというのは、まあこれまでの医学の歴史からして、科学的な感じで、理解できそう。これはMRIあれば実験できるし、証明可能。
うちのクリニックでもできる。
めんどうなので、やらないけどね。
で、そのうえで、それが認知症の予防になるのか、っというと、ぼくは自信がない。
つまり、それはウソ!って自信をもって言えない。
まあ、ホント、ともいえないけどね。
そもそもウソかホントか、ちゃんと証明できていない。

あっ、思いだした。
「いや、ちゃんと証明した英語論文がある」っていう意見もあった。
読まされた。
でも、そんな論文、関係ない。
英語であろうが、スワヒリ語であろうが関係ない。
ぼくが納得できるほど、ちゃんとした実験計画、公正な手続き、管理されたデータ集積、解析がなされた論文がないんだ。
そういう意味。
持ってくるなら、そういう論文もってこい、って言いたい。
こういうテーマで統制された臨床研究はまあ、難しい。
やったとしても、莫大な金がかかる。

でね、たとえ、この話、ちゃんと証明された、としてもだよ。
医者の出す処方薬の承認手続き程度のことまでした薬は別なんだけど、
いきなり、朝スプーン2杯の〇〇オイル、っていうオチが、なんだか腑に落ちないんです。

でね、
さすが、テレビである。
医者に言わせている。
「由らしむべし知らしむべからず」

なので、ぼくの、最大の疑問は、もし、その専門家を為政者に例えるのなら、
その人の持つ矜持、ってなんのか、という疑問。
もしかして、テレビを作っている人が、この場合の為政者なのかもしれないけれど。
そしたら、登場している医者がかわいそすぎる。

で、ここに、ぼくには感じるのは、
ただ、変な感じ。

有名どころでは計算や漢字ドリル的なやつ。
まあ、やっているうちに、その課題はできるようになるよね。
ぼくも寝るときに、お絵かきロジックやってる。
でも、認知症予防のためではない。
で、もとい。
脳トレとかが、認知症の予防になるのか、っというと、ぼくは自信がない。
なら、それはウソ!って自信をもって言えない。
まあ、証明されていないよね。
しつこいけど、ぼくが納得できるほどには、証明されていない。

認知症の予防になることを信じて、一心不乱に、やっている風景は耐えられない。
それよりも、大切なことがあるように思えてならない。

変な感じ。

なんだろね、この変な感じ。

人生を生きる、っていう視点で、気持ち悪い。

悲しい映像をぼくは見たことがある。

デイサービス、だったか、ある施設。
漢字の書き取り練習の風景。

あるスタッフ:「自分の名前を書いてみて」

本人:「はい。いやー、んー。」

その人は頑張って、自分の名前を漢字で書こうとする。
しばらくすると、ぐちゃぐちゃ、と字にも絵にもならない線を書きなぐる。

スタッフ:「難しいですか?」

本人:「そうですね。難しいですね」

って答える。

この映像は必見。
このシーン、胸に迫る思いがする。
本人の、スタッフへの配慮。
ぼくなら、その紙、引きちぎる。
でも、彼は、描いた線にはそれを感じるけれど、言葉はやさしく、スタッフに対する思いに答えようとする。
促したスタッフも、それを感じる。そして深い悲しみを抱えこむ。

脳トレ、漢字ドリル、計算ドリル、・・・って。
たしかに、いままでやっていない動作をすると、新たな脳の領域の血流が増えてんだろね。
例のごとく、予防になるのかどうか、知らない。
やらせているのは、
周りの、あるいは、自分の、認知症が少しでも進行させない、って思いだろうね。

でも、認知症は、いまのところ、やむなく、その認知機能低下は進行する。
できなくなる自分を、そこまで、直面させる必要はない、ってぼくは思う。

その時間があれば、人生で、なにか、大切なことに、使ったほうがいい、と僕は思う。

もう一度。

テレビに出ている医師が、

「簡単なことなんだけれど、こーすると」

「脳のふだん使っていない領域の脳が活性化して、それが認知症の予防になるんです!」

「また、朝スプーン2杯の〇〇オイル。」

「これがいいんですよ。認知症予防には。」

なぜか、こういうのが、テレビでははやる。

でも、心ある、テレビマンもいることを、最後に書いておきたい。
そうではない、希望が持てる番組も最近チラチラ、みれるようになってきたのは、近い将来認知症になるぼくにとってうれしい。


カテゴリー: 認知症の考え方