「もの忘れ」はやめた方がいい(02)


記憶のメカニズム。

悲しいことに絶望的にわかっていません。

記憶するルートの違いはありますね。

目から得た情報。

耳から得た情報。

味。

などなど。

知覚という、センサーを経由した情報を記憶します。

そういうことはわかっている。

でも知覚以降の話はわかっていない。

写メをスマホでとる。

スマホの備え付けのメモリに入れよう。

脳もそうなのか。

見た画像を脳のどこにストレイジ(保存する場所)してるのか。

もし保存されているとしたら。

まあそれは脳ですよね。

例えば脳梗塞。

脳梗塞というのは脳を栄養している(脳に血を流している)血管の目詰まり。

その血管の下流の血管の血の流れが止まる。

さらにその先にある脳の細胞が死滅する。

そういうのが脳梗塞。

当クリニックでMRIで多くの人々の脳の中の様子を見てきました。

歳をとればとるほど脳の血管の目詰まりは多くなります。

当たり前ですね。

脳の血管の目詰まりは時間とともに単に増えていくのですから。

ただ個人差はとても大きいけれど。

綺麗な脳の人は60歳でも90歳でも綺麗。

その逆もある。

そこそこ年取ってきたら心配ならMRIをとることを勧めます。

症状がないとすると保険がきかないのですが。

これからの人生まだまだ長いしね。

で、

仮にふと脳梗塞がしょうじる。

すると記憶の中のドラえもんの絵だけが消えてしまう。

たぶんそうはならない。

一方。

話せなくなる。

歩けなくなる。

ありきたりの物の名前を言えなくなる。

そういう状況はたしかにある。

僕の狭い診療の経験からも。

つまり個別具体的な事象の保管庫がある、と考えづらい。

一方系統的な変化はありえる。

近年、ニューラルネットワークという古いアイデア(ウィキを見ると1940年代らしいですね)が2000年以降いくつかのブレークスルーがあって、現在の汎用性の高いディープラーニングという技術を形成しています。

僕もオタクでして何冊かディープラーニングの教科書を見てみました。(超オススメはネット上での講座があります。https://www.coursera.org/learn/neural-networks-deep-learningです。5000円くらいかかりますが最後まで演習に合格しつづけてちゃんとやり通するのはむちゃくちゃ大変ですが、諦めずにやれば基礎的なプログラムはかけるようになります。ちなみにぼくは3週間ほどで修了証書を取りました。自慢です。ただその期間は空いている時間は全部パソコン。しんどかった。)

すると大抵最初にニューロンの絵が出てきます。(ちなみに上の講座では出てきません。最近の人工知能の専門家は実際の脳のニューロンは、これまで人工知能で想定してきたほど単純なものではない、と考えるようです。人工知能のアルゴリズムをニューロンのアナロジーとしてとらえることについては否定的。だから最近の教科書にはこのニューロンのアナロジー、載らない傾向にあるらしい。)

こんなやつ。

これが脳でめったやたらに繋がりまくっているらしい。

そこに電気が流れて脳の活動を維持しているらしい。

人工知能の分野では、まずひとつのニューロンをモデル化(超単純化)する。

それはそれは簡単な数式化なんですね。

足し算と掛け算のみ。

ひとつのニューロンで見る。

たくさんのニューロンから電気が流れ込んでくる。

それをニューロンの中で簡単な足し算、掛け算する。

ひとつの結果なったらニューロンから、一つ電気をぽっと出す。

そんなニューロンが幾層にも並んでる。

すごい単純なニューロンのモデル化なのです。

それを少しだけ複雑に組み合わせる。

組み合わせ方は匠の技なのです。

いまも競って研究されています。

有名なのは百度(バイドゥ)の顔認証ですね。

顔を写メでとって誰かを当てる。

そんなプログラム。

人の顔を見るとすごい精度で当てにいく。

お金の決済まで使われるレベルです。

ストックしたのは、写真そのものではないですね。

この場合記憶に相当するのは、それぞれのニューロンのぽっと出す電気までの足し算掛け算の係数です。

ちなみにこの係数を決めることを人工知能の業界では学習と呼ぶようです。

いまは転移学習?(transfer learning)といって何百万、何千万というレベルの大量画像データによって学習済の係数が、それほど制限のないライセンスでネットから簡単に手に入れることができます。

つかえばだれでも相当な人工知能プログラムを作れる。

いま、画像のAI的認識はすごいっす。

画像は一旦登録すれば、クリニックでも玄関に入ってきたらそのまま電子カルテ上で受付できるなんてプログラムもできる。

ぼくつくれそう。

もとい。

ある画像が与えられる。

するとこのアルゴリズムでそれがあなたであるのか否かを、すでに学習した係数を使って、その確率を出す。

そんな記憶です。

たぶん記憶という側面においては実際の脳もそんなふうに記憶している。

真実は闇ですが、なかなか合理的な発想だと思うのです。

膨大なネットワークがあって、その一部が損傷しても、こんなモデルであれば、

「あなたかどうか」の確率の精度は落ちるかもしれない。

でも「あなたかどうか」の情報のすべては失われない。

だから記憶とは脳に張り巡らされたネットワークを背景に重みづけられた巨大なベクトル場なのではないか、といういう人もいます。

なんのこっちゃですが。

いまの人工知能の実践から想定される感じであれば、さもありなんですね。

すみません。

余談が長かった。

「記憶」を解明する、というのはこれまで生物研究者や心理学者が頑張ってきましたが、

最近人工知能の学者さんも参戦してきた感じ。

そういうわけで、ともかく記憶。

「入れる」以降「どのように持っているか」は謎。

「出す」のも謎。

じゃあ、合理的配慮って、配慮しようがないじゃん。

そう思いがちですが、

知っていることもわずかながらあるのです。

それを次に考えましょう。


カテゴリー: 認知症の考え方