「もの忘れ」はやめた方がいい(03)


なんだかしんどい話になりました。

ここからは楽になるはず。

なにせ記憶って。

謎だらけ。

なのでもう謎に迫ることをしないから。

「入れる」の部分に着目。

「海馬」とかいう場所が脳の目の上、耳のある位置から奥に入ったあたりに両側3ccほどの大きさ。

あなたの小指をみてください。

小指の第1関節から先っぽまでくらいですかね、大きさ。

結構小さい。

その周辺の海馬傍回という場所も関係しているらしいけど。

名前を付けたのは人間なので、まあ、その辺。

ここはどうもほかの脳の部分と違って、細胞とかの中身が違うらしい。

ぼくは神経病理学的にちゃんと脳を見ていないのでよくわからない。

でも日々生きている状態の人のMRIをみる。

するとこの海馬が3ccよりも小さいと、たとえば2.5ccくらいだと目で見てわかる。

そういう人がおられる。

たいてい記憶するのが苦手になっている。

HDSR(改定長谷川式認知症尺度)やMMSE(.ミニメンタルステート検査)でも、

近時の記憶の点数と時間の見当識の点数が落ちがち。

今の時代の認知症。

比較的多い方々のパターンです。

あえて「今の時代」としたのは、あくまで「今の時代」だからです。

認知症の障害の内容はまた時代によって変わるかもしれないしね。

とりあえず今の典型。

そういえば英語でもforgetとcan not remember。

思えば違いますね。

ここを丁寧に腑分けするのが今回の課題。

どうも経験的には「海馬」は記憶の玄関口。

そう思っていまのところそれほどずれないだろうと。

1)海馬やその周辺の機能低下は萎縮という形で現れる。

2)そしてその結果「記憶しづら」くなる。

3)その「記憶しづらさ」は神経心理検査(HDSRやMMSEなどなど)で知ることができる。

あたりが専門家でもある程度共有できているのかなあ、と思います。

ただし1)は経験的に実は微妙。とくに初期は。

頭頂葉あたりの変化が目立って、海馬やその周辺の変化が目立たないケースでも2、3)(記憶しづらさ)があることがありますね。

逆に1)(海馬及びその周辺が減っている)であっても2,3)(記憶しづらさ)がないなんて方にもときおり遭遇します。ただしその場合後年、記憶のしづらさが検査上わかることが多い。

ちなみに僕の直感ですが、検査で測れる「記憶しづらさ」よりも自分で感じる「記憶しづらさ」のほうが先んじて生じるのではないか、と思っています。

つまりまずは自分が誰よりも早く自分のことがわかる、といった見方です。

実際にそういう方も多くクリニックにこられます。

まだあくまで直感ですが。

だから認知症であれば病識がない、なんて今の時代全く通用しないと思うのです。

でなければ先般の大綱で喧伝されている「当事者発信」。

そんなもん意味がなくなってしまう。

だって当事者発信できる認知症の人は病識がなければその発信。

なんのこっちゃわからなくなる。

でもきちんとした証明はない。

認知症の人は病識がないとする考え方は、

認知症を「扱う」上では便利な考え方です。

やっかいな人々として十把一絡げにできる。

対策しやすくなる。

サイエンスとしてどうかは別にして。

だったら本当は病識があろうがなかろうが、どちらとして考えておくべきか。

本当はどちらであれ「ああはいうけどわかっている」つまり「病識がある」と考えたほうが人の道からははずれない、と僕は思っています。

国の今回の施策に至るまで近年の概念の明確な発祥の地。

おそらく2012年の厚労省から出た「認知症の今後の施策の方向性」というコンセプトシートだと思います。

そこの最重点課題として「認知症の人の意思を尊重する」とあるんです。

おそらくこれまでは尊重していなかった。

そう思えたからわざわざそう明記したんですね。

だから一律に「認知症は病識がない」としてしまうとその人の意思という考え方に影を落とすのです。

認知症の人から発信する内容に意味がないということになりかねない。

思えば「拒絶」も認識の一つですしね。

あとですね。

病識という用語は実は精神科領域では歴史的に重要な概念として位置づけられています。

ネットで検索してください。

だから安易な「病識」という使い方はやめたほうがいい。

ちょいと大綱にも「BPSDに対応するに当たっては、病識を欠くことがあり、症状によっては本人の意 思に反したり行動を制限したりする必要がある。」なんてありますが。

「病識がない」という単語の使い道がわかりますね。

こう使われるんです。

みなさんはどう思いますか?

もとい。

「記憶のしづらさ」でした。

それは「忘れた」のとは違う。

はたから見れば、区別は難しい。

なにせ「持っている」部分の様式がさっぱりわからないし、外からわかりようがない。

でも記憶していなければ「持つ」ことが難しい。

少しだけ細かく言います。

作業記憶といわれる考え方があって、記憶が定着する前の一時保管庫として考えられている機能があります。

これもどこでどのようになっているのかはさっぱりわかってない

倉庫の場所も明らかではない。

でもさまざまな現象について作業記憶なるものがあったほうが合理的にうまく説明できる。

そんなことから考えられた概念ですね。

たいていの人はだいたい6桁前後の数値はどうにかその場では記憶できる、とかいうやつ。

だから昔の黒電話時代を知っている人であれば、近隣のお友達の電話番号を伝えればメモなくてもその場で電話できましたね。

いまは携帯。

まあ無理。

なので「持つ」様式も二通りありそう。

ちなみにその作業記憶はさきほどの「記憶しづらい」パターンの認知症があったとしても障害がないことが多い。

逆に、だから、はたから見てわかりづらい。

なにがって?

忘れたのか記憶しづらいのかってことが。

長くなったので、ここで一旦切ります。

 

木之下徹 拝

 


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