【ブログ】認知症の症状、っていうけど その2

まあ、「その1」で、大ミエ切りましたが、でも、視点が変わると、あれはウソなのです。で、なんや、それって、思うかも。で、そう思うところの視点について、今回以降、考える。


10年以上前。
医療現場で、認知症、について語ろうとする。
当時の最大の問題は、介護負担であった。
医療のほうは、その原因を「症状」とみるようになった。
「なにかとすぐに騒ぐ、近所をぶらつき帰れなくなる、ものを盗ったといいたてる」
それらを
「不穏興奮、徘徊、物盗られ妄想」という医学名称が割り当てられた。
そういうふうに考えるもんだ、と僕が知ったのは、

痴呆患者の問題行動評価票(TBS)の作成
朝田隆,吉岡充,森川三郎,小山秀夫,北島英治,川崎光洋,木之下徹,浅香昭雄
日本公衆衛生雑誌 1994年 41/6/518-527

という論文がきっかけ。
その6年後の2000年に

Predictors of severity of behavioral disturbance among community-dwelling elderly individuals with Alzheimer’s disease: A 6-year follow-up study Takashi Asada, Takuro Motonaga andToru Kinoshita

を出す。

朝田先生が名門オックスフォード大学から日本に戻ってきて、それからというもの、馬車馬のように、地域を一軒一軒訪問し、データを集積。
ふつうは、この当時であれば、留学先から帰ってくれば、白衣とか着て、試験管になにやら難しいものを入れたり、DNAの変異をみつけたり、液体に色付けたり、それを数字にしたり。
それが、エレガントで、知的にカッコいい時代。
でも、朝田先生は、地域での状況をナマでつかみ取ろうと、肉体労働に走る。
大学に戻っては、データの整理に明け暮れる。
自分の大学での診療もあり、大学の授業もあり、の中。
これって、すごくないですか?
その姿に打たれて、ぼくは、2002年に訪問診療を始めたんです。
でさあ、このTBSというのが、いまはBPSD、とか呼ばれている、大変な「症状」を網羅的に記述したたぶん世界初の尺度。
この論文が出てから、地域の保健所などから、朝田先生に電話、鳴りやまず。
地域において、この認知症に伴う「症状」を取り巻く状況はきわめて深刻だったんだね。
京都には、家族会があった。
その当時、わずかな専門医と(現)認知症の人と家族の会(高見国生代表)とかしか相談できる窓口がなかった。

介護がもう限界。
医療側はどうしたか。
統合失調症に使う抗精神病薬を、第一選択薬とした。
その当時、内科医には、無理だった。
精神科医の世界。
セレネース、コントミン、ウィンタミン、レボトミン、ベゲタミン、ニューレプチル、ロドピン、PZC、バルネチール、グラマリール・・・・。
星の数ほどある。
そういう薬が主流。
ぼくは、在宅医療をしていた。
そういう薬も、正直、使った。
(けれども、過去形である。)

でもね、いまはさあ、
高齢、虚弱、認知症の人に、こういう薬は、やめたほうがいい。
自戒の念をこめて、告ぐ。
通常量では、あっというまに、
錐体外路症状。
認知機能低下。
抗コリン作用。
(こういうの、どっかでちまちま説明する。)
なぜか、地域の外来診療所でこういった類の薬が処方され、遠方からうちのクリニックに来られる認知症の人がいる。
当然だが、すぐに中止する。
一旦出現してしまうと、なかなか、戻らない。
認知症の人の場合の、こういうことを知ることができたのは、在宅医療をやってた、からかもしれない。
自分で全員処方する。
自分で全員フォローする。
どうなるか、在宅で亡くなるまでフォローする。
最後まで関係が切れづらい。
そういえば、おしっこ、が出ない、といって、電話後、尿道に入れる管とバケツをもっていったこともあった。
抗精神病薬はこわい。
でも、使わざるを得ないとき、なにを、どれだけの量、期間、使うか。
それは、医師の力量と直観である。
標準化された方法論がなかったから、ぶっちゃけ直観の部分が大きい。
だから大切なのは、フォローである。
わからなければ、毎日電話するだけでいい。
心配なら、来てもらえばいい。
だめなら、こちらがいけばいい。

対象は認知症。
当たり前だが統合失調症ではない。
認知症に関する、そういった場合の論文を集めて読んだ。
世界では、新しい抗精神病薬の臨床研究は盛んにおこなわれていた。
日本語で書かれた教科書はない。
その当時、専門家は少なかった。
身近に相談者はいない。
なもので、気安く、大学の教授とか重鎮に電話した。
だって、他にいないんだもん。
あっ、気安く、というのは、問題あるかあ。
こういう場合、なんていうんでしょう。
まあ、みなさん雲の上の人々なので、すごい超高速な揉み手してた。
でも、電話だと見えないなあ。

で、どの先生も、とても親切に教えてくれた。
論文を教えてもらったり、世界の動向を教えてもらった。
ありがたかった。

当時、統合失調症の治療自体も、
古い抗精神病薬から、にわかに新しい抗精神病薬へシフトがあった。
理由は明白。
効き具合と副作用である。
いままでは、古い抗精神病薬の多剤併用療法時代。
古い抗精神病薬のカクテルは、職人技のような、直観のような、ぼくには皆目見当がつかなかった。
そこから、統合失調症の処方は大きく変わった。
そして、パターナリスティックな時代から、ダイアログを重視し、当事者研究、「リカバリー」なるコンセプトの獲得など、に続く。

もうその時点で、セレネースなり、ニューレプチルなり、ベゲタミンなり、云々、といった古い抗精神病薬を選択することとは、代替薬がない、といいきれるほど、その薬剤による効果の特異性が期待できる場合において、はじめて選択できる、という時代になったともいえる。

医師の態度の変化とは「視点」の変化が原因なのである。

認知症における、薬物療法の変化は、ここから始まった。

並行して、認知症の「症状」を、当時代表するような「周辺症状」における「視点」の変化も始まった。

一旦、「視点」の変化がはじまると、いままでのものが音をたてて壊れ始める。


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